先日ネット記事で「?」と思ったことがありました。
lasisa.net
「・・・は?」って思いました。
女の子生んだら勝ち組、男の子生んだら負け組。
・・・は?なんですか、それ???
正直なぜそう思うんだろうと、今も意味が解らない。
自分の子供ならどちらでもよくないですかね。
今までずーっとそんなことを気にしたことも考えたこともなく過ごしてきましたけど。
身近な友人知人にもそんなことを言い出す無神経な人はいない環境でしたし。
と、書いたところで、一人いた。
私の実姉です。
「え、あんたんとこは男の子なの?残念ねー。うちの子は女の子だったからよかったわー」
うちの子が生まれても「おめでとう」の言葉もなく。
性別判明した時点で上記の言葉を勝ち誇ったように投げかけてきた、姉のことを思い出しました。
当時もその後もその意味がわからずもやっと引きずってて。
「なんでまた女の子だからよかったと言ってるんだろう」って思っていました。
その話の意味が解らなかった。
本当につい最近になって、今回の「男児ママ女児ママ」の話題を見かけて、ああ、そういうことかと。
彼女は私に優位にたったつもりでいたらしいです。
だから鼻息荒く得意げに話してたんだ。やっと意味が分かった。
・・・ちっちゃいな。
私は男児だから女児だからとか、マウントを取り合う意味もわかりません。
その前に「マウントをとる人」が苦手ですし。
言われた相手がどう思うかとか、相手への思いやりとか皆無でしょう。
そもそもが自分の子供をマウントの材料にする母親って、いかがなものかと。
マウントをとってくる人って、視野が狭いというか。
生きてる世界が小さすぎて、自分と考え方とか違う人を徹底排除しているイメージがあります。
あと、自分自身は「何も持っていない」ことが多いというか。
自分に自信がないですよね。
多分「私『の子供』は成績優秀でいい大学を出ている」とか、「私『の旦那』は大企業に勤めている」という感じで、自分には何も自慢出来るものがないから。
だから、小さなコミュニティの中で思いつく限りのマウント材料を探して生きているのかな、と。
私が実姉から受けてきた「マウント」とやらを思い返すとそういう感想です。
男児女児、それぞれの育児の良さがあるんじゃないですかね。
というか、女児のお母さんのところに弟が生まれたらどうするんだろう。
「お姉ちゃんは可愛いけど男の子は可愛くない~」とか言うんでしょうか。
そうではないでしょう。
自分の子供だったら、男児女児どっちも可愛くないでしょうか。
だからといって、その女児ママが突然
「やっぱり男児も可愛いよね」とか言い出したら、それはそれで周囲も微妙な反応になりそうですが。
男児女児、とはひとくくりに出来ない個性があるのだから「男児は乱暴」「女児は陰湿」とか、お互い罵り合わずに自分の子供としっかと向き合って子供育てていけばよろしいんじゃないんですかね。
マウント取ってるエネルギーとか時間、無駄だなあって思いました。
ちなみに、私は子供が生まれる前は「男子女子、どちらでもいいな」と思っていました。こだわるところはそんなことじゃない。
どちらであろうが無事に生まれてきてくれたらそれだけで十分だと思っていたからです。高齢出産だったのに、無事に生まれてきてくれて奇跡でございますよ。